動物生化学研究室

井上 達志(ファームビジネス学科/教授)

エンドファイト感染草摂取による中毒症に関する研究

エンドファイト(endophyte)とは植物に内部寄生する真菌類のことで、牧草に寄生するのは麦角(バッカク)科の仲間です。このエンドファイトが寄生している牧草を牛や馬が食べると中毒をおこすことがあります。その原因は麦角アルカロイドの仲間であるエルゴバリンと筋肉や神経に作用するロリトレムBと呼ばれる化合物です。 麦角菌はライ麦パンの原料となるライ麦にしばしば寄生しますが、この糸状菌が作り出す麦角アルカロイドによる中毒はヨーロッパ中世ではしばしば蔓延しました。足や手の血管が収縮して血のめぐりが悪くなり、赤く脹れたり痛んだりした後、重症になると壊疽を起こして炭のように黒くなって崩れ落ちてしまいます。妊婦は死産し、脳神経系にも作用して幻覚や痙攣なども現れました。人々はその症状からこの中毒症(麦角症)を「聖アントニウスの火に焼かれる病」と呼んでひどく恐れました。
麦角症はヨーロッパ中世では「聖アントニウスの火に焼かれる病」として恐れられた。ブリューゲル(1525-1569)によるこの画(部分)はこの中毒症を良く表している。手足をこの中毒で失った中央の人物の傍らには、その原因となったであろう食べかけのライ麦パンが見える。左下の健康な人物は小麦のパンを食べ頭の上の籠には暗示的な一足の靴、彼らの頭上にはあたかも両者を比べるように差し伸べられた手が描かれている。また、小銭の施しを受けているにもかかわらず中央の人物はその方向を見ていない。虚ろで不安に満ちた形相は幻覚の発現を表しているようでもある。右は壊疽を起こして離断した足であろう。

ブリューゲル(1525-1569)による画

壊疽を起こして離断した足

麦角菌

麦角菌が寄生するとまさに角のような菌核と呼ばれる菌糸の固まりができます。これは古くから「悪魔の黒い爪」と呼ばれましたが、これが麦角症をおこすことがわかったのは17世紀になってからのことでした。 エルゴバリンも麦角アルカロイドの仲間ですから、エンドファイトに感染した牧草を多量に食べた動物にもヒトの麦角症によく似た症状が現れます。流産をはじめとした繁殖障害、採食量や乳量の低下をはじめ、重症例ではやはり脚の先が壊疽をおこして離断してしまうこともあります。ライ麦などに寄生する麦角では「悪魔の黒い爪」ができるのでその寄生が外見からわかりますが、困ったことに牧草のエンドファイトの寄生はこれができないので外見からは全く知ることができません。したがってこのタイプの中毒がエンドファイトによるものとなかなか診断がつかないことが多いと思われます。エンドファイトの寄生をしらべるには顕微鏡で直接植物内の菌糸を探すか、エルゴバリンやロリトレムBを分析することができる高速液体クロマトグラフィー(HPLC)という高価な装置が必要です。そこで忍び寄るエンドファイトによる中毒を少しでも防ぐために、エンドファイトの感染の有無を誰にでも簡単に調べられる方法を研究しています。

麦角菌

麦角の菌核「悪魔の黒い爪」と呼ばれた。

牧草の葉の中を伸びるエンドファイトの菌糸(矢印)

種子の中のエンドファイト菌糸

エンドファイトの感染

また、エンドファイトに感染したペレニアルライグラスという牧草ではエルゴバリンとともに筋肉や神経に作用するロリトレムBという物質もつくられます。筋肉や脳が働く仕組みは大変複雑ですが、そのひとつにBKチャンネルという細胞の内外のイオンの出入りを制御していろいろな生理的機能にかかわっている仕組みがあります。ロリトレムBはこの仕組みを妨害してしまうと考えられていて、足腰がふらついたり痙攣を起こしたりします。びっくりするような激しい症状が突然起こりますが、原因であるエンドファイト感染ペレニアルライグラスの給与をやめるとやがて完全に回復するのが特徴です。この中毒は輸入ライグラスストローの給与によるものを中心に全国で散発しています。ロリトレムBは水に溶けにくく油に溶けやすい性質を持っているので、ロリトレムBを摂取させた実験動物では内臓脂肪や皮下脂肪にロリトレムBが蓄積されることがわかってきました。そこで、畜産物の安全の観点からロリトレムBが動物の体内でどうなっているかも研究しています。

指の発赤と腫脹、潰瘍形成、趾端部の壊疽

両趾に広がった乾性壊疽

家畜の慢性硝酸塩中毒に関する研究

1960年代から1980年ころまで「ポックリ病」とよばれる硝酸塩による牛の急性中毒症が全国各地で起こりました。当時は経済成長の下で化学合成された窒素肥料が粗飼料の生産に大量に使われたからです。その後、この中毒症に気をつけるようになってから「ポックリ病」は随分減りました。 しかし、家畜の穀類飼料のほとんどを輸入に頼っている日本では、化学肥料に加えててたい肥などの耕作地への還元により土壌中の窒素が過剰と言われるようになってきました。土壌の窒素分は微生物により硝酸塩や亜硝酸塩に変えられます。とうもろこしなどの飼料作物は水に溶けた硝酸塩を根から吸い取り、茎や葉などに蓄積します。

硝酸塩中毒はどうしておこるか

牛の硝酸塩中毒が起こる仕組み

牛は反芻動物の仲間で胃袋が4つあります。このうちの第1胃と第2胃には微生物がたくさん生息して食べた餌を牛に替わって消化しています。餌に硝酸塩が含まれていると、この微生物によって亜硝酸イオンへ、やがてはアンモニアへと還元されアンモニアは牛や微生物によって代謝されます。しかし、硝酸塩から亜硝酸イオンへは速やかに変えられますが亜硝酸からアンモニアへの還元速度が遅いので、第1胃や第2胃に溜まった亜硝酸イオンは胃壁から血中に吸収されてしまいます。血中の亜硝酸イオンは赤血球のヘモグロビンに酸化的に作用しこれをメトヘモグロビンに変えてしまいます。酸素と結合したヘモグロビンは鮮紅色で酸素を全身に運ぶ働きをしていますが、メトヘモグロビンはチョコレート色でもはや酸素を運ぶことはできません。そうすると、呼吸もしているし心臓も動いているのに、体の中では酸素が足りない状態になってしまいます。症状ははじめ沈うつになって食欲が低下し、全身の血の気が失せて赤紫色になり(チアノーゼ)、脈拍が速く、呼吸も浅く速くなりいかにも苦しそうにし、重症になると立っていることもできなくなります。症状の進み方が早く、短時間に吸収された亜硝酸イオンがあまりにも多いと、あっという間にポックリと死んでしまいます。これが牛の硝酸塩中毒が起こる仕組みです。

硝酸塩中毒はどうしておこるか

硝酸塩中毒はどうしておこるか

粗飼料全体の硝酸塩濃度

「ポックリ病」は少なくなりましたが、最近、粗飼料全体の硝酸塩濃度がじわじわと上がり、程度は軽いけれど、慢性化した硝酸塩中毒があるのではないか?といわれています。牛の頭全体が黒かったりすると、チアノーゼになっていても注意してみないとなかなか気がつきません。ポックリといかないまでも、軽い中毒症状になっているのに気がつかないで硝酸塩が中程度に蓄積した餌を与えつづけている可能性があるのです。妊娠中の流産や、泌乳量の低下、食欲不振、成長不良をこのことと結びつける報告が増えてきました。硝酸塩中毒を予防するためには、粗飼料中に蓄積した硝酸塩をモニタリングする方法が行われていますが、分析の仕方で誤差が大きいこと、また硝酸塩に対する牛の処理能力に大きな個体差があることから、慢性的な硝酸塩中毒の予防にはこれでは不十分です。また、硝酸塩中毒の程度を診断するためには採血をしてヘモグロビンとメトヘモグロビンの濃度を測定しなければならず獣医師に頼らなければなりません。牛が硝酸塩の影響をどのくらい受けているか、正確にかつ簡単に調べる方法を研究しています。

正常な左に比べて右では手や足、鼻などが白っぽい。舌ではチアノーゼがみられる

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