宮城県北部連続地震旭山撓曲付近の概況調査結果

2003年7月28日 宮城大学 蒔苗耕司

 7月26日(土)0時13分,7時13分,16時56分と立て続けにM5以上の地震が生じたが,この地震を発生させたとされる旭山撓曲周辺の概況を地震発生の翌々日(28日)に視察してきたので報告する.
 なお,視察経路は以下の通り.
 三陸自動車道利府IC〜矢本IC〜矢本町小松〜山崎〜平田原〜河南町 町〜北村〜箱清水〜前谷地〜根方〜鳥谷坂〜北村〜前谷地〜国道108号線〜古川IC

1.三陸自動車道奥松島〜矢本IC

三陸自動車道:路面のたわみが数多くみられ,特に橋梁部前後での段差が著しい.地震による不同沈下が原因と思われるが,簡易的な補修工事があちこちで行われていた.当該路線は対面通行であり,通常時の規制速度は70km/h.実質的な走行速度は100km/h程度と思われる.現在は災害規制速度50km/hとなっているが,高速走行はかなり危険な状況であり,十分な減速誘導が求められる.


写真−1 三陸自動車道新田橋付近

2.旭山撓曲周辺

 震源地付近では,あちこちに路面の陥没,地割れ等がみられる.
 河南町町付近ではブロック塀が倒れたり,家屋が潰れる等の被害がところどころにみられる.倒壊している家屋には比較的古いものが多い.
 国道108号線鳥名坂付近は道路の損壊等,被害がかなり大きい.大規模な露頭がいくつかみられ,地形・地質学的な検証の要素となると思われるが,今回は時間切れで近くまで到達することができなかった.


写真−2 矢本町清水沢付近 (路面の亀裂・陥没があちこちにみられる)


写真−3 屋根が壊れ,青いビニールシートをかぶった家が目立つ

写真−4 河南町町付近(ブロック塀の崩壊が目立つ)

写真−5 完全に潰れた家屋(町付近)

写真−6 完全に潰れた家屋(町付近)

写真ー7 倒れかけているブロック塀

写真−8 旭山撓曲
(崩壊地がいくつか見られる)

写真−9 旭山撓曲(東斜面)の崩壊地(写真-8で遠くに移っていたもの)

写真−10 路面の亀裂

写真−11 国道108号線根方付近
(倒れた自動販売機を起こしている.前方ではブロック塀が崩壊)

 

写真−12 鳥谷坂付近

写真−13 鳥谷坂付近

写真−14 こんな露頭がある(基盤上に段丘堆積物??)

 


写真−15 国道108号線 路肩決壊

3.まとめ

 今回はほとんど調査のための時間がとれず(実際に現地にいたのは2時間弱),自動車で走行しながらの観察となった. また被害が大きかった道路は通行止となっており,立ち入ることができなかった.そのため,十分な観察ができず,着目すべき箇所を見落としている可能性も高い.地震規模から推定される変動量は松田(1975)のD-M式 Log D = 0.6M - 4 (Dは変移量,Mはマグニチュード)に従えば0.5m程度と予想されるが,今回,観察できた変状は,人工構造物を中心とした被害がほとんどであり,断層活動を明確に示すような地形上の痕跡を見出すことができなかった.
 実際の変動量に関する調査は,他機関の調査に委ねるが,現在の地形が過去の累積によるということを前提とすれば,今回の地震による変動と撓曲地形との関係から当該断層の活動度を明らかにすることは難しいかもしれない.地形学的には,河南町前谷地付近,特に鳥名坂付近は地形的には極めて特徴的であり,周辺の地形形成過程についても研究価値がある.今後の調査に期待したい.

【おまけ】
 今回の震源地に近い鳴瀬町野蒜地域は,我が国最初の近代港湾の築港事業として,明治11年より明治政府直轄工事として築港工事が開始された地域であった.残念ながら,その後の明治17年には台風により突堤が壊れ,明治18年には事業中止となったが,もしそのまま築港が続けられていたならば,当該地域は日本有数の港湾都市となっていた可能性もある.その場合には,今回の地震が大きな災害をもたらしていたかもしれない.
(参考:土木学会野蒜築港120年委員会ホームページ http://www.civil.tohoku.ac.jp/~goto/nobiru/) 

以上

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