震災直後の対応で見えた日々の積み重ねと看護の原点
高橋 間もなく東日本大震災から10年を迎えますが、地震が起きた時のことを振り返っていただけますでしょうか。
瀬戸 その日は年休を取って買い物に行こうと思っていたのですが、なぜか行く気がしなくなってたまたま病院にいました。そこで地震が起きて、とにかく大変な状況でしたが、その時いつも普通に過ごしている看護師長がすごい勢いで仕切っていたんですね。やはり人は急場に立たされると力が出るんだなと思ったのを覚えています。看護師も全員ベッドサイドに飛んでいって患者さんにけがをさせなかった。看護師の患者さんを守るという意識がこんなにも根付いているんだなと、あの時は本当に感動しました。
高橋 私も発生時は貴院に実習用務でいました。皆さんいったん避難されましたが、自分が落ち着いた後すぐまた中に入られて、そこからすごく速かったなと思うんです。すぐに災害対策本部が立てられて患者さん方の誘導が始まり、私も手伝わせていただきました。地域の方々がたくさん押し寄せていらっしゃる中で、皆さん一人ひとりを誘導したり毛布など必要なものを配ったり、本当に大変だったと思うんですけれどもスタッフの皆さんが笑顔で優しくされている姿に看護の原点を見ました。この気持ちを持って働いていらっしゃる方々だからこそ、この非常事態に対応できるんだなと感動しました。当時、筋萎縮性側索硬化症という難病の方の夜間の介護を行う学生たちのグループがありまして、その顧問をさせてもらっていました。日が明けてまずその方の状況を確認しようと大学に行く前に立ち寄ったら、そこにヘルパー資格を持った学生がいたんですね。その学生は卒業旅行に行こうと思った日に地震が起こって引き返したそうなんですけれども、やはりその方のことが気になって、そのままその方のおうちに向かって夜間の対応をしたと聞きました。経験したことのない非常時の状況の中で、自分が普段関わっている方が困るかもしれないと、そういうことを発想してすぐ行動に移せた学生の判断、行動を誇りに思いました。ですので、現場の方も学生も立場を超えて、日々積み重ねていることが非常時に力になって行動化するんだなと実感しました。そういう新たな発見からスタートした震災の対応でした。
瀬戸 そうですね。病院のマニュアルの想定を超えたことだったと思うんですが、炊き出しをしたり、救急の方がどんどん運び込まれてきて対応をしたり、そして家族を捜しに来る方もたくさんいらっしゃいました。でも、その対応をしていると患者さんのケアができなくなってしまう。その時に阪神・淡路大震災で行われていたことを思い出して、患者さんの名前と住所を全部書いて、100枚以上壁に貼って、院内を回らなくて済むような形で、いるかどうか確認していただきました。
私も1週間ぐらい病院に泊まっていましたが、職員も皆さん被災していますしその家族も被災していて、連絡も取れないという人も当然います。それも管理者はある程度把握しなければいけなかったので、自分の家族のこと、職員とその家族のこと、患者さんのこと、その家族を含め地域の方のこと、何を優先して何をやっていいのか、頭の中でずっと交錯していましたね。その不安をいかに組織としてまとめて解消していくか、和らげていくかの一つの方策として毎朝ミーティングを開いていました。師長たちは師長たちで集まりますが、全体の会議を病院でこまめにしていったんですね。病院自体が壊滅的だったのでどこが壊れているかとか直せるのかとか、重油がなくなったら暖房がなくなるからどうするかとか、いろんな細かいことがあり、その中には食料の問題もありました。そういういろんな質問に答えて、こういう方針でやるんだと管理者がきちっと示すこと。それが災害対策では最も大事なのかなと思いました。いかにリーダーシップを取るか。それが働いている人を安心させるんですね。
複雑な問題が絡む看護現場で重要性を増す専門職連携
高橋 そのような中でも本学に関しては、震災が発生した年度から通常通り実習を受け入れていただいて大変ありがたかったです。学生たちも新学期が1カ月遅れで始まって緊張した状況にある中での実習ということで非常に不安も大きかったと思いますが、現場の方々に温かく指導していただきながら成長していけたと感じました。
瀬戸 被災して家や家族を失った方にアンケートを取ると「生きているのもつらい」という回答もある中で、そういう方の気持ちをどうくみ取っていくかということも、看護をしていく上で大切なことだとオリエンテーションで話した記憶があります。
高橋 おっしゃる通りです。大学の活動だけではなく何かやりたいという学生たちがいて、最初は泥出しのボランティアを教職員と学生とで始めました。残念ながら看護学群では1名の学生が津波で亡くなっており、その学生への思いや住民の方々に貢献したいという思いを持った学生たちがグループを立ち上げて、被災地でのボランティア活動を行うことに発展していっています。ですので、地域の方とか患者さんとか、人との関わりの中で自分たちが何をできるのかを学生たちが考えて行動化するということを、震災後の活動として力を入れて取り組めたと思います。そのボランティアは今もなお継続していますが、対象の方と関わる大事さを大学の学びの中で得た上で、それを自治体に関わらせていただきながら活かすことで、意義を感じてずっと今まで活動をしてこられたんだと思います。その活動で地域の中に入って健康教室を開いたり農作業をしたりといった活動があるのですが、やはり仮設住宅など今まで住んでいたのとは違う環境で足腰が弱くなって、介護予防が必要になってくる方たちがいる中で、どうしたら住民の方たちの健康維持に関われるかを考えて、学生たちは劇をしたりすずめ踊りを取り入れたりしながら、いろんな活動をしていました。
瀬戸 大変素晴らしいことですね。その経験が看護の現場でも活きてくると思います。
高橋 住民の方々は震災直後、健康のことを考えるというのはなかなかできない状況にあった中で外部から学生や教員が入ってくることで、少しずつご自身の健康を意識するような機会につながっていったのかなと思っています。その時々の関わりではあっても、学生が来た際に、そういえば自分の健康も振り返った方がいいんだなと気付いていただきながら、少しずつ健康に対する意識を持ってもらえるようになりました。そういうことにも活動が貢献できていたんじゃないかなと思っています。
それが10年たった今、被災した時の健康課題ではなく、その地域が持っている健康課題に移行してきたと思っています。今までは復興支援として取り組んできましたけれども、被災した経験を継続しながら今度は新たに、地域住民の方々がより健康に暮らしていくということに対して本学はどう貢献できるかを考えていくことが必要になってきているんじゃないかと思います。今、東北医科薬科大学さんでも地域医療ということで貢献を目指されていて、その取り組みを多職種連携で取り組まれておられます。IPE(InterprofessionalEducation=専門職連携教育)の活動に関しても瀬戸看護部長から本学に呼び掛けていただいて一緒に取り組むことになりました。どういう思いで声を掛けていただいたんでしょうか。
瀬戸 地域医療はさまざまな職種が絡んでいかないといけなくて、一人の患者さんを医師だけ、あるいは看護師だけが見ればいいわけではないですよね。薬剤師さんもいてケアマネージャーさんもいて地域の保健師さんがいて、地域とスクラムを組んで行っていく。その中で看護師がどんな役割を担っていくのかを考えてなければいけないということが私の頭の中にあって、24時間ベッドサイドで見られる看護師がきちんと発信していかなかったら患者さんをケアしていけないだろうなと。多職種と絡んでいくようなチームづくりが絶対に必要だと思いました。当院はもともと全国社会保険連合の病院から震災後に東北薬科大学薬学部と協働し、3年後に医学部が新設され医科薬科大学となりましたが、大学になったことも大きな要因です。今までは地域の病院ということでやっていたわけですけれども、大学になると診療だけやっていればいいわけではなく、教育や研究にも力を入れていく必要があり、多職種と連携していく必要がある。それにはまずどんな仕事をしているのか理解しようということから始まって、うちは看護学部がないのでぜひ宮城大学さんに入っていただきたいと、お声掛けさせていただきました。今は薬学と看護だけですが、そのうち医学部も入るだろうと思っています。日々病院の中ではそういうチームで動いているわけで、そういう形で看護もやっていかないと遅れてしまいますので、今後もIPEは続けていきたいです。
高橋 本当にいい機会をいただいたと思っています。本学では医療系は看護だけなので、他の医療職と話す機会が学生の時にはなかったんですけれども、IPEの機会をいただいたことで学生のうちから多職種と話し合って同じ目標を共有する経験ができました。実習での振り返りなどをしていても、この機会を得た学生たちの多職種連携協働に対する意識の高まりが非常に顕著で、そういう取り組みをした学生の話を聞いた学生もまたその必要性を感じていて、学びが広まっているなと思います。これからの看護を考えていくと、1つの職種だけで何かを解決することは非常に難しい。震災を経験したからこそ分かったのは、人の生活上の支障というものは非常にいろんなことが交ざって複雑な問題として起こっているということでした。それをいろんな職種が自分たちの力を出し合いながら、ひもとくように解決していくことがとても大切です。これまで宮城県は復興の活動を通じて、いろんな職種とのつながりや住民の方との協働や関わりをつくり上げてこれましたので、この10年でつくり上げてきたものをこれからの10年、どのように活かしていくのかを考えていかなければいけないなと思っているところです。私は東日本大震災が起きた時、10年後は「こういう大変な震災があったね」と穏やかに振り返りながら話せる日を思い描いて、前に進もうとやってきたんですが、その10年目に今度は感染症という課題を抱えました。やはり生きているといろんなことがあるなと改めて感じたんですけれども、看護というのは目の前にある課題にいつでも挑み続ける職種だとも思います。それも自分たちだけではなくて、一緒に協働していける人たちと手を組んで課題を乗り越えていく。その方法を考えていくことが、チームで動く看護の特徴でもありますので、今後も病院の方や地域の方と一緒に取り組んでいきたいです。
人を捉え、伝える力を養い変革を乗り越えられる人材に
高橋 最後に、後進となる看護職に向けたエールとして、これからの看護を考えていく上で伝えたいこと、アドバイスがあればお聞かせいただけますでしょうか。
瀬戸 私たちの看護という仕事は結局、人を、患者さんを見る仕事であって、そこから軸を外さないことが一番大事だと思います。いろんなことに振り回されるんですけれども、その大事なところを外してしまうと本当のことが見えなくなってしまう。そしておそらく、これからもっと世の中は変化していくでしょう。高齢化もさらに進みますので、その辺も見据えた社会、地域との取り組みも今後必要になってくるだろうなと思っています。今、私たちは感染症と戦っていますが、あの震災を乗り越えての感染症ですので、こうやったらいい、ああやったらいいとそれぞれがアイデアをいろいろと出していますし、私はこのコロナ禍もきっと乗り切れると思っています。こういう変革に耐えて、考えられる人になってほしいですし、私もそういう看護職を育てていきたいです。
高橋 ありがとうございます。今後さらに人口が減り若い世代の人数も減っていく中で、これからの看護職というのは一人ひとりがきちんと役割を果たせる人材に育っていかなければいけないと本当に思います。これも震災後のさまざまな活動を通した中で実感してきたことなんですけれども、人に届く言葉を伝えるためにはその人から信用していただくことが必要で、それには看護職として、その前に人として、その人を捉える力が必要だなと。相手が話している言葉にきちんと耳を傾けて聴き、その方が何を望んでいるのかに関心を向け、そして捉えたことをほかの方にきちんと伝えていく。そういう力を私たち看護職は付けていかなければいけないと思います。
瀬戸 どんどん素晴らしい学生を育てていただいて、さらに私どもの現場でも人に役立てる看護師に育てられるように頑張っていきたいと思います。
インタビュー構成:菊地正宏(合同会社シンプルテキスト)
撮影:渡辺然(Strobe Light)/ディレクション:株式会社フロット
プロフィール
看護学群長 高橋 和子
2007年3月、山形大学大学院医学系研究科生命環境医科学専攻博士後期課程修了、1999年より宮城大学看護学部 助手・講師・准教授を経て、2013年より宮城大学看護学部教授、2020年より看護学群長兼看護学研究科長に就任。地域包括ケアシステムの構築において、地域の住民同士の関わり合いや支え合いを促進する方策を探究。また、病院や医療・福祉等のサービス事業所における地域療養者のより良い支援の在り方や、地域で働く看護人材の育成にも取り組んでいる。さらに、自然災害の発生を避けることができない日本において、要介護状態にある在宅療養者の被害を最小限にとどめるための備えを図る方策の提案にも取り組んでいる。
東北医科薬科大学病院看護部長 瀬戸 初江
本学の大学院博士前期・後期課程修了生。東日本大震災発災時、東北厚生年金病院(東北医科薬科大学病院の前身)で看護局次長の任にあり、当時同院の看護部門を中心に災害対応を指揮。東北医科薬科大学は本学看護学群と連携し、専門職連携教育(IPE; Interprofessional Education)により、チーム医療や多職種連携のために必要な能力を共に学んで養う体験学習型カリキュラムを展開しているほか、例年は本学の看護実習受け入れも行っているなど、長年にわたって宮城大学の看護教育に大きく貢献している。<参考記事>他大学、地域の病院と 連携して「協働」を学ぶ 専門職連携教育(IPE)