地域と共に歩んだ 10 年の学びを経て、これからの 10 年に向かうために

震災から10年の契機に、これまでの時間や震災前の風景を想像しながら将来についての話題を共有し、宮城で学び地域と関わる人たちが思考を展開するきっかけになれば。そんな思いで中田千彦事業構想学群長が鼎談の相手として選んだのが、教育機関が多く子育て世代の流入が増える東京都文京区の成澤廣修区長と、俳優としての知名度も活用し事業を通して環境問題に取り組む香川照之氏。それぞれのフィールドでの事例を交えた会話の中に、この10年で宮城大学が行ってきた取り組みを次代に継承し、発展させていくための重要な示唆が含まれている。

思いを持ち、見る目を養い、まちを再生させる担い手に

香川 われわれは3人とも東京生まれで、成澤君は生まれ育った文京区を良くしようという意志を持って区を運営していますが、中田君は宮城大学に行って、どのように地域との関わりを深めていったんですか。

中田 やっぱり東日本大震災が大きなきっかけです。震災後、復旧復興のために外から途方もないお金が入ってきて、壊滅した地域をどんどん変えながら新しいまちをつくっていきますよね。その中で生きていた人たちにとっては、その前の生活と気持ちは地続きなのに、まちはがらっと変わってしまう。それで途方に暮れながらも頑張っている人たちに自分たちができるのは、まちづくりや地域のビジネスを考えたり、デザインでできることに取り組んだりすることしかないと思いました。まちへの理解や地域の人たちとのつながりを深めながら、まちや人の生活圏をリニューアルしていく中で、これをきちんとコンプリートしなければいけないという覚悟が生まれました。家族は東京にいて、行ったり来たりしながらですが、完了はできなくても遂行しようと。自分なりにやるべきこと、できることに対する覚醒があったんです。それが大学の教員としての使命だとも思いました。事業構想という名前ですがビジネスを考えたりつくったりするだけでなく、昔あったものを掘り起こしたり、意味を発見したりすることが大事で、それを発見する「目利き」が必要です。そのために、人を見る目とものを見る目を学生たちに養ってもらわないといけない。そうでなければ言われた通り作業するだけの人になってしまいますから。

香川 その中でこの10年の学生たちはいろいろなことを感じたと思いますが、今年は当時8歳前後だった人たちが大学に入ってくるわけですよね。幼少期から震災後の世界を生きてきた人たちの感覚は、またちょっと違うような気がします。そういう意識の違いは肌で感じますか。

中田 最初はそういう時期を過ごしてきた経験が心の中にしまわれていて、あまり表面化はしていないように思います。だけど一緒に何かをいろいろやっていくうちに、震災後を生きる中で気付いた彼ら彼女らの使命感や思いがだんだんとにじみ出てくることがあります。それをわれわれがきちんとすくい上げて、東北でどういうことを考えるべきかという材料にする。それがまちづくりにおいてもエッセンスになっていくんです。そこは震災当時や直後の学生とはアプローチが違うかもしれません。

香川 そう考えると、さらに10年後には震災をまったく知らない人たちが入ってくるわけで、それもまたテストケースとなり得るのかもしれませんね。震災を経験していない学生たちがどういう意識でまちづくりに関わるのか。

中田 両親や祖父母が住んでいた風景を何も知らなくて、巨大なコンクリートの堤防があるところにモニュメントがあって、そのはるか奥側に自分の住んでいるところはある。それが原風景なわけで、昔はこうだったよと伝えても分からないですよね。でもそれを何とかつなぎ合わせて、そこに潜在している気持ちや思いも寄せ集めて編み上げていくのが教育ではないでしょうか。それは小学校からずっと学び続けるもので、最後に具体化させる技術を大学で身に付けるんだと思うんです。

成澤 ちょうど今の学生たちは、新たな堤防をつくりかさ上げして高台移転してというハードの部分が一段落して、特にソフトの面での最後の仕上げを見られる。まちづくりの担い手としては貴重な機会がここ数年間だろうと思うんです。出来上がってしまってから、こういう成り立ちでこの商店街はできたんだよと学ぶのと、自分たちも手伝いながら一緒につくっていくのは全然違う。そういうところに学生が入っていくと、きっと感じ取るものがあるはずですよね。

香川 まちづくりということでは、震災によってその地域の「におい」みたいなものも含め、かつてあったものがなくなって、ピカピカの建物が建って現代的な街並みになっていくことをまちの人はどう考えているんでしょう。例えばもし京都でそういうことが起きたら、彼らはまた古い建物をつくろうとすると思うんですが、東北の人はノスタルジーが破壊されていくような気持ちはないんでしょうか。

中田 街並みで言うと、昔ながらの漁村やその繁栄に伴ってできた商店街や宿場町がまずあって、それが昭和にアップデートされていってデパートができたり鉄道が来たり、徐々に近代化していった。その近代化された光景をノスタルジックに感じているとは思います。でもどこかで駄目なときは駄目だと考えている人たちがいて、それはもしかしたら漁師さんたちのマインドとして、そういう合理性があり、リセットに対する耐性があるのかもしれません。
「ノスタルジーをいくら言ってもまた津波が来たら」とか「前の津波の時もそうだった」という言葉も聞きますし、そのノスタルジックなものこそが傷を深くしていた側面があるので、前に進むためにはやむを得ないと。それに対して京都は繰り返し再生してきたことが地域のサステナビリティになっていて、生き残るための本能のような部分が、京都と東北の沿岸では違うのかもしれません。

香川 いいまちって何だろうかと考えると、僕の場合は例えば松本や松江は降り立った瞬間に、「ああ、このまち好きだな」って思うんです。古いものなのかにおいなのか、日本的なものなのかがどこかに残っているからでしょうか。一方で没個性のまちも日本にできているとすると、仙台はわれわれからすると東北の「門」なので、降り立った瞬間に「いいまちだ」と思うようなデザイン性を学生たちにはぜひ追求してほしいなと願います。

現代の教育と感覚を活かし物事を関連させ次へ進める

中田 今日もう一つ話題にしようと思っているのが環境問題です。香川君は新しくファッションブランドを立ち上げて、子どもが好きな虫の服を展開していく中で、ファッションが動物に残虐なことをしていたことに対して取り組む姿勢を示しているように見えます。

香川 昆虫の番組(NHKEテレ「香川照之の昆虫すごいぜ!」)を始めたのが全てのきっかけでした。われわれが出会った小学校の頃、僕はカマキリが好きでずっと庭で見ていたので、カマキリの姿でやってみようと思い付きました。すると、そのインパクトのおかげなのか、やたら子どもに受けた。2、3歳くらいの子が、お父さんお母さんの言うことは聞かないけどカマキリ先生の言うことは聞くんですと。だったらサブリミナル効果ではないですが、子どもに昆虫で「エーイ!」とか言っておきながら、すっと下から本当のメッセージを入れられる立場にあると思ったんです。それで今は昆虫をモチーフにした子ども服の販売を通じて、地球環境を考えながらいかにサステナブルなことをやっていくか、今自然はどうなっていてどんな危機があって、このままだとみんなが大人になった時にどういうことが起こるかを伝えるツールにしています。SDGsで言っているように、より良い環境を子どもたちに残していかないといけないという使命感ですね。

成澤 2、3歳から小学校6年生ぐらいまでの世代に対しての香川照之の発信力はピカイチだと思います。今、小学生が一番SDGsに詳しかったりする。さっきサブリミナル効果と言っていましたが、昆虫の番組や香川君が関わっているいろんなものを通して、彼らの知識の中に吸い込まれていっているんですよね。

香川 われわれの頃との感覚の違いもあるんだろうと思います。スーパーに行って値引きされている賞味期限が近い手前のものから買うべきだというのは、今は当たり前になってきていますよね。でも僕らの世代は、みんな裏から引っ張り出して買っていたイメージで、それによって何百万トンという食品ロスを招いてしまった。今の子たちはそれが感覚的に理解できているように思います。

中田 賞味期限が切れそうなものから食べましょうというのは流通のスピード感を変えていくことで、ファッションも捨てるようなものはつくらないというのは流通の在り方を変えていくことだと思うんです。文明はずっとものを動かすことによって栄えてきて、これでいいんだと言ってきたのが20世紀。それがどうも不自然だと気が付いた人が、ぽつりぽつりとものの動かし方を変えようとしているわけですよね。その先頭で旗を振ってくれているのが香川君だったりすると、分かりやすいし慕いやすい。

香川 ありがたいことに、そのきっかけの一つになっているとは思います。きっかけさえあれば、今の子どもたちはそこからつなげて考えることができる。われわれの世代は国語算数理科社会を全部異なる科目として学んで、それぞれのつながりが分からないまま終わったけど、今の教育は全てが一つにつながっている。これは新しい教育による将来の光ですよね。
 

成澤  この間、「地球温暖化に一番いけないのは何だか知ってる?」と小学生に言われて、何かなと聞いたら、牛のげっぷなんだと。廃プラスチックをどうしようとか、そういうことを超えちゃって、関連付けてものを考える力を子どもたちが持ち始めている。何か一つの出来事を個別の話として終わらせないで次のステップに進めるのは行政の現場でも大事で、意識していることです。例えば東日本大震災の際に釡石市の避難所を文京区の職員たちで運営したんですが、満員ぎゅう詰めの避難所にお年寄りも乳飲み子を抱えた若い夫婦もおなかの大きな妊婦さんもいました。当時の災害対策の考え方では、要支援者というのは高齢者と障害者でしたが、災害が起きると妊婦さんや産婦さんも十分に要支援者だと分かった。首都直下型地震に備えて同じ運営では駄目だと気付かされて、妊産婦乳児に特化した避難所をつくったんです。それが文京区モデルとして全国に広がっていきました。何か起きたことを止めずに次のことを変えていくのは絶えず心掛けていて、それは教育の世界でも大事ですよね。

中田 そうですね。そういった現場での経験や学びはもちろん活かさなければいけないですし、その気付き方、活かし方の視点が昔の研究と違ってきていると思います。お二人の言うように、ほかの話題との接点を見いだす能力が今の人たちにあるんでしょう。昔は研究というと図書館に行って論文を開いて、それを写して、これとこれが関係しているということを一つ一つ確認していかないといけなかった。その後ネット上にデータベースができて、副次的に正確でない情報も増えて、それが正しいかどうか判断しなければいけない時代もありました。それもこれからはAIが分析して、これくらいの確率で信ぴょう性が高いですと判断される時代が来る。それをまた人間が統合し直して新しい知識体系をつくる時代に差し掛かっているように思います。

香川 そうなると、学生たちがどのように授業を進め、学びを深めていくかも、さらに変わってきますよね。震災から10年で宮城大学が何を得てきて、それを基に今後の10年は何をどうつかみ取っていくかを学生同士で話し合うのも面白いと思います。

地域に出て、地域と関わり学びを活かす創造的な発展へ

中田 震災から10年が到来するこの時期を、コロナ禍もずっと並走してきています。このコロナ禍と向き合いながら次の10年に向かうというのは酷なことかもしれないけど、そこである種の人間的な能力がどう覚醒するか。それにはきちんと教わることは教わった上で、それをベースに自分の身体性や精神性でつなげたり展開したりすることが必要で、それに対して大学は何ができるんだろうかと考えています。そういった彼ら彼女らに向けて、最後にメッセージをいただけますか。

成澤 今の学生たち、特に宮城大学の学生さんに望むのは、ひたすら地域に出てほしいということです。「地域が学校」だと思いますし、地域の人たちの生の声を聞くことによって、自分たちの想像力だけでは限界があったものが、研ぎ澄まされて次のアイデアが出てくるはず。ぜひ地域を歩いて勉強や研究につなげてもらいたいなと思います。

香川 宮城大学の周辺は、地球の環境の鏡である虫が多いところですよね。その食物連鎖のピラミッドの一番下をなくさないような、環境に配慮したまちづくり、新しいデザインを考えてほしい。地球の環境を傷付けながら文明は進化してきたけど、これからは地球にもいいことで、エッジの効いた文化的でクリエイティブな産出をしてほしいし、それこそが新しいことだと思う。宮城が持っている日本の原風景を心に留めながら、頑張ってほしいですね。

 

インタビュー構成:菊地正宏(合同会社シンプルテキスト)
撮影:渡辺然(Strobe Light)/ディレクション:株式会社フロット


プロフィール

事業構想学群長 中田 千彦

1990年3月 東京藝術大学美術学部建築科卒業、1993年5月 Columbia University Graduate School of Architecture, Planning and Presevation Master of Architecture 修了、2005年3月 東京藝術大学美術研究科博士後期課程満期退学。2003年4月より株式会社新建築社で新建築、a+u副編集長などの経歴を経て、2006年10月より宮城大学へ着任、2020年より事業構想学群長兼事業構想学研究科長。建築デザイン、メディアデザイン、地域デザイン、デジタルアーカイブを専門分野として、デザイン・マネジメントの観点からの建築・空間設計の魅力ある活用を展開するためにはどのような方法が具体的に考え、実践することに取り組む。

東京都文京区長 成澤 廣修

文京区長、1966年生まれ、駒澤大学法学部卒業/明治大学公共政策大学院修了。2007年4月より現職(震災時も継続)。東京都文京区は大学などの教育機関や医療機関が数多くあり、江戸の文化をしのばせる下町風情が残っている一方で、多くの方がにぎわうレジャー施設があるなど、さまざまなまちの表情と落ち着いた雰囲気を併せ持つ住み心地の良いまちである。区民の声の常時募集や、文京区公式YouTubeチャンネルでその考え方を毎月発信するなど、区民とのコミュニケーションを大切にしており、所信の一つに「災害等から区民の生命と財産を守る取り組み」がある。

俳優・歌舞伎役者・実業家 ⾹川 照之

1989年より俳優として活躍、2011年9月27日より「九代目 市川中車」を襲名。襲名に当たっては、先代との和解と、震災後を生きる人々を少しでも喜ばせることができればとの思いがあった。2019年からトヨタ自動車(トヨタ)が展開する、CMとネットを融合させたオウンドメディア「トヨタイムズ」編集長を務め、さまざまな現場に出向き取材やインタビューを行い、トヨタのより深い情報発信を行っている。また、「Insect Collection」(昆虫採集)として、リーズナブルな価格帯で洋服や雑貨を通し、TPOやマナーなどの社会性、環境問題、国際性に対する理解を深め子どもの生きる力を育てる「服育事業」もプロデュースするなど、実業家としても活躍している。


FEATURED PROJECTS

事業構想学群はプロジェクトデザインの最前線で、教育研究機関の社会的責任・文化的責任を果たしていく

南三陸町役場マチドマで震災前の模型を使った「ふるさとの記憶2020」

「ながしずの漢(おとこ)たち」展を大和キャンパスデザイン研究棟で開催

東北にデザインの拠点をつくる/デザイン研究棟が完成、大和キャンパスリニューアル

農業農村分野の災害対応ガイドブックが農業農村工学会優秀技術賞を受賞

「森の学校」プロジェクトが2020年度日本環境共生学会学会賞2部門受賞

Reborn-Art Festivalとの協創プロジェクト

「東北って、実は面白い」世界で戦える東北をつくる。「やりたいことはすぐにやる」と決め、大学での実践活かし広告会社でも活躍

1次産業の基盤整備を充実させ、生まれ育った宮城の発展に貢献する。身近な田んぼの被災に胸痛め、農業土木学び農地復旧の研究に携わる

人に寄り添い、想いに寄り添い心と暮らしを豊かにするデザインを。南三陸の被災集落で住民と共に明日を考え自分ができることを見つけた「A book」の経験


事業構想学群

地域の社会・文化に立脚し、世界に繋がる人材育成を目指す「知の拠点」

TOP