やまのかけら/DSC×WOW いのりのかたち

山岳信仰に限らず、人は古来、自然の中でも山に対しては特に畏敬の念を抱き、その「かけら」である岩や石にも神性を見いだしてきた。スコープというアナログな仕掛けを用い、山の側にフォーカスを当てることで、周辺にある私たちの営みを描き出した「やまのかけら」。土地から拾い上げた歴史をどうやって伝えるかという点で、その手法は「歴史屋」にとっても新しい気付きがあったという。

基盤教育群 准教授:三好俊文
WOW Designer 門田優、WOW UI Director / Designer 丸山紗綾香
聞き手:菊地正宏 (SimpleText LLC)


古代から日本では山や森に神が宿ると考えられていました。山の民は山の恵みに感謝し、山の神に「いのり」をささげたといわれています。それは、山にある自然物全てが山の一部であり、山の神性を宿していると考えられたためでした。彼らは山に生きる動植物だけでなく、滝や大岩、小石までも神が宿っていると感じていたのです。本作品は、その山の石を用いて山の神性をのぞき見る試みです。体験者は実際の山から採取した石をスコープ状の装置でのぞき込みます。すると石の表面からさまざまな景色が広がり、石に宿った山の神性が風景となって姿を現します。小さな石を通して、遠くにそびえる大きな山々を想起させるインスタレーションです。


―今回、作品のテーマを「やまのかけら」に決めた経緯と、その後のリサーチのところからお話しいただけますか。

丸山 もともとのきっかけは、私が趣味で登山をしていて、山道の途中にほこらや朽ちた鳥居を多く目にすることがあり、それは何でなんだろう、どういう意味があるんだろうと疑問に思っていたことでした。それとは別に、これも個人的な趣味で、旅行に行った時など川や海で石を拾って帰ることがあって、石に旅行の思い出が詰まっているよう
な感覚を持っていました。その 2 つの経験があって、山というテーマと石というモチーフを組み合わせられそうだなと考えました。

そこから、山自体に魂を感じる山岳信仰の自然観、宗教観に興味を持ち、掘り下げてみようという軽い気持ちでリサーチを始めました。掘り下げるほど深みが出てきて、まずいテーマを選んでしまったかもしれないぞと思いつつ、昔の日本人が山に対してどういう感情を持っていたかというところも含めて、いくつかの山についてリサーチを進めて、実際に行ける場所で山寺と泉ケ岳と笹谷峠をチョイスしました。

門田 これまで山を特に意識したことはなかったんですが、考えてみると大学時代は東北芸術工科大学にバス通学して毎日間近に山を見ていて、すごく迫力を感じたりリラックスしたり、単純にきれいだなと思ったりしたことが記憶にありました。そう考えると、意外と自分も今まで山を感じて生きてきたのかもしれないなと。リサーチの中で、昔から日本人が山に対して信仰したり神聖視したりしていたことを知り、そういう DNA みたいなものが自分の中にも流れているのかなという感覚を覚えました。

―リサーチしたことを、そこからどのように作品の表現に落とし込んでいったのでしょう。

丸山 映像に関して言うと、最初はもっと静かな表現で、ストーリーを感じさせないものをつくっていました。一度プロトタイピングしたのは、山頂に石があって、その外側に雲海が広がる映像でした。それを見てプロジェクトのメンバーで感想を言い合っていたら、何か足りないという話になって、石そのものをただ山に見立てるだけでは駄目なんだなと。それで、昔の人が山に感じていた、山の神様や山そのものへの畏れや感謝といった感情を記憶として表現することを考えました。

それをどう表現したらいいかというところで、もうちょっとストーリー性のある、時間軸を切り取ったような映像はどうだろうと。白蛇が鎮座していたりとか、鹿を狙っているマタギがいたりとか、そこにずっと存在している山が実際に見てきた景色の、ある瞬間を切り取って映像化しました。それを見ることで、その瞬間、その時代に生きた人のイメージを味わうような体験を生み出すようにアプローチを変えて、それを「記憶」という言葉でくるんで映像化してみたところ、体験として面白く、ずっと見ていたいと思えるものになっていたので、最終的なアウトプットとしてそうなりました。

―三好先生は作品をご覧になってどんなことを感じられましたか。

三好 いろいろなことを感じさせていただきましたが、一番は、あの世とこの世の境界のようなものがすごく感じられました。古事記の頃からそうした岩にまつわる話はありますよね。スサノオとアマテラスがけんかしてアマテラスが天の岩戸にこもって世界が真っ暗になるとか。イザナギがヨモツヒラサカを下って黄泉の国にたどり着いてしまい、変わり果てた姿のイザナミを見て命からがら戻って千引の岩を置いて入り口をふさいだとか。スコープを通してそういう目に見えざるものが見えて、ここにその入り口があるんだろうなということが感じられる映像でした。

もう一つ感じたのは、シンボリックに見せたいものをあえて止めているというか、周りは動いているんだけど、本当に見せたいものは動いていないということです。「いのりのかたち」の他の 3 作品では主役が踊りまくっている映像ですが、逆にこちらは見せたいものが動かず静かに鎮座しているので、石にこもった畏敬の念をコンセプトの一つに立てていらっしゃるんだとすると、私にはすごく伝わってきました。

―スコープをのぞき込むという形を選んだのはなぜですか。

丸山 最初はスマートフォンアプリにして AR で映像が現れるという体験もテストしたんですが、没入感があまり出せなくて、他にどんな方法があるんだろうかと突き詰めていった結果、合わせ鏡を使った今の手法に行き着きました。

三好 没入感が出せないというのは、どういうことなんですか。

丸山 今の技術で実際の空間にスマートフォンを通して CG を浮かび上がらせるようなものはできるんですが、位置がずれたりすることが意外と起こりやすくて、CG 映像が石の前にふわふわと幽霊みたいに浮いちゃうんですよね。それでは作品の世界に入り込んでいるような体験が得られず、私たちが石に投映したいイメージとマッチしませんでした。それで何かぴったりとフィットする形はないかと探していきました。

門田 いろいろな方法を試して、没案もいくつもありました。VRゴーグルで、両目でのぞき込むようなものも検 討しましたが、今回の顕微鏡のような、望遠鏡のような形でのぞき込むというのが一番しっくりきました。そこにスコープがあれば自然とのぞき込みたくなりますし、のぞき込んだ先に世界が広がっていることを実現するのに一番適しているんじゃないかと。それと、片目でのぞいてもう片 方の目で実際の石が見えるので、現実にある石とのぞいた先の映像世界で対比できるという利点もあって、こういう形態になりました。

のぞき込むということが決まってからも、今度はどうやってスコープとして成り立つようにつくっていくかでいろいろ試行錯誤しています。直径 3 センチほどの小さな円形ディスプレーも試して、うまくいったところもあったんですが、耐久性などいろんな問題があり、不安材料があるので採用しませんでした。鏡を使うことを決めてからはペーパープロトタイピングでいろいろつくって、トイレットペーパーの芯を切ってつくってみるなど、本当にアナログな方法で試して、最終的には3Dプリンターで成形しました。ちょっとでもずれるとのぞいた時に映像ではない部分が見えてしまうので、そこは非常に気を使って、ミリ単位でかなり細かく調整を重ねました。

ミラーの形も実は斜めで楕円形になっていたり、スコープの本体も遠近感を考えて先端に向けてちょっとずつ太くなっていたりとか、つくって、のぞいて見て、また調整してというのを手作業で何度も繰り返しました。

三好 ご苦労されたかいがあって、スコープだからこそあの世とこの世との境界感を私も感じられたのだと思います。今回の作品群でいうと、茅の輪と同じ機能をこのスコープが果たしていますよね。これをもしほかの仕組みでつくっていたら、たぶん最初に感じたほどの境界感は得られなかったのかもしれないなと想像しながらお話を伺っていました。

映像の一つに高速道路が入っているのは笹谷峠のイメージだと思いますが、実はこれを見て私、ほっとしたんですよ。山なり石なりにこもっているもの、山が見てきたものを映しているんだなというのは私も映像を見て感じて、だから原始信仰やその後の舶来宗教がメインになるのかなと思っていたら、ふっと現代が入ってきた。そうか、山にとっては私たちがこうして行っている営みもちゃんと記憶としてとどめてもらえているんだなと、そういう意味ですごくほっとした一瞬でした。

丸山 三好先生に読み取っていただけてうれしいです。ずいぶん最初の企画の段階で、古い伝承のイメージだけではなくて、現代に続く時間軸も切り取って入れたいよねということはチームの中で話していました。私たちから見た山の姿がどこかに必ずあるはずだと考えて、最終的に高速道路の映像を入れたんです。

三好 作品に使った石はどのように選んだんですか。

丸山 実際に行った 3 つの場所でメンバーがおのおの河原で集めてきて、私が持ってきたこの石はこんなイメージですと軽くプレゼンして。これは山寺の岩壁の雰囲気に近いよねとか、これを山に見立てたらこの辺に鹿がいそうだねとか、みんなで話しながら選別していきました。

門田 自分が石を拾った基準としては、作品にするに当たっていい感じの手頃なサイズ感とか、見栄えがいいかどうかとか、あとはそれぞれの場所で差が出るように、それぞれの場所らしさが出るような石がいいのかなと思って探してはいました。

―その場所らしい石、というのはあるものなんでしょうか。

三好 私が選ぶと、ここはこういう地質だからこういう石だというつまらない話になってしまいますが、そうではなくて、その人が石をどういうふうに見て、何とどう結び付けたかですよね。丸山さんがおっしゃったように、何かその人の思いがそこには詰まっている。私の息子もどこかに連れていくと石を拾うので、何でだろうかと思っていましたが、そういえば私自身も小さい頃にやっていたなというのを今回思い出しました。

丸山 沖縄の御嶽では洞窟にこもって、そこにある小石を持ち帰ってお守りにしたという風習がかつてあったようですが、東北の山にもそのようなことはあったのでしょうか。

三好 琉球の信仰としてあるとしても、日本ではあまり聞かないのではないかと思います。むしろ自分の身代わりとして石を持っていって、その信仰の場に置いてくる方が一般的ではないかと。山に行くと石が積んであるのをよく見ますよね。あれで結縁する。

縁を結ぶのであって、神様なり特別なものを持って帰ってくるということはしていなかったんじゃないでしょうか。板碑も大きなものが立つと、そこに集まるようにして小さな板碑がどんどん立っていくように、持って帰るんじゃなくてやっぱり立てに行くんですよ。

これは想像ですけど、かつてはそれぞれのおうちに神棚があって、それぞれに祭られている神様がいるんですよね。そこに、行った先々からまた神様のこもった石などを持って帰ってきた日には、どんなことが起こるんだろうと。やっぱりこちらが行って、呼ぶ時は神様をお迎えする儀式を特別に執り行って、その依り代もこちら側で準備するということだったのかなと思います。

―そうした儀式もそうですし、山岳信仰もそうですが、「いのり」とはどういうものだとお考えですか。

三好 これはあくまで自分の感覚ですが、胸や心に浮かんだものを表に出すことで人間はコミュニケーションを取りますが、出そうとしても出せない何か、胸に止めておきたいけど聞いてほしいという何かを込めるのが「いのり」ではないでしょうか。その相手が神様かもしれないし仏様かもしれないし、振り向いてくれない女性かもしれませんが、言葉にするとふわっと消えてしまうような大切にしているものを、表には出さずに届けようとする行為なのではないかという気がします。

―デザインスタディセンターでは学群の枠を超えた知の接続、学外の先進的な知見の獲得を掲げていますが、今回の作品や座談会を通して得た知見、先生の本来の領域にフィードバックできる可能性を感じたことがあれば最後に教えてください。

三好 自分は「歴史屋」で映像というものに対して少し腰が引けるところがあり、その一方で、拾い上げてきた歴史をどうやって地域に住んでいる人たちに伝えるかも意識しています。作品の感想とも絡むんですが、見せたいものを強調して動かすのではなく、シンボリックに表現して周りが動いている中で静態にしておくと、それをじっくり見ることになるのでより注意を引き付けられるというのは発見でした。「何で石の上に白蛇がいるんだろう」とか、気にしてもらってからいろいろ話をすると、ただ話すよりも関心を持ってもらえるのかなと。これは授業でも使えそうだと感じました。

今回は「やまのかけら」というテーマであちこちからシンボリックなものを持ってきたと思うんですが、エリアを限定するのもいいですよね。例えばそれぞれの市町村でも大事にしているものがいくつかあるはずなので、それをシンボリックにああいう表現で見せると、きれいな画像で本物を見せてしまうよりも関心を持ってもらえるし、現地に足を運ぼうと思ってもらえるんじゃないでしょうか。少なくとも私はその方が興味を引かれますので、発信という点でそういう方法はありかもしれませんね。

構成:菊地正宏(合同会社シンプルテキスト)/撮影:株式会社フロット


MYU NEWS #03

宮城大学デザインスタディセンターでは、2021年の開設以来、学群の枠を超えた知の接続/地域社会との継続的な共創/学外の先進的な知見の獲得を目指し、東北の新たなデザインの拠点として、さまざまな実験的なプロジェクトが展開されています。


DSC Dialog #01 デザインスタディセンターの『現在』と『未来』

東北の新たなデザインの拠点として設けられた真新しいデザイン研究棟の建物が肉体だとすれば、デザインスタディセンターはその核に据えられた魂の依り代と言えるだろう。目に見える形は持たないが、だからこそ、それを中心に専門領域に縛られず、産学官の軽やかな連携が立ち上がり、地域と境界線のない交差が生まれる。そんな混然一体の営みが自然発生し得るこの場が持つ可能性について、3 人のコアメンバーに語ってもらった。

DSC Dialog #02 めぐみ MEGUMI/DSC×WOW いのりのかたち

科学的にそのメカニズムが明らかになっているとはいえ、微生物の働きにより米と水から酒がつくられていく過程は神秘性を帯びている。肉眼では見えない存在に思いをはせ、その力を借りた酒づくりの現場を目にしたクリエイターらが生み出した映像は発酵という現象を科学的に解明しようとする研究者にどう映ったのか。そして神事とも密接する酒づくりにおける「いのり」の科学的な解釈とは。

DSC Dialog #03 文様 MONYOU/DSC×WOW いのりのかたち

東日本大震災の後、事業構想学部(当時)中田研究室の有志学生が南三陸町戸倉地区長清水集落で行ったプロジェクト「ながしずてぬぐい」。その手拭いにもあしらわれていた文様に、中田教授の教え子でもある 2 人は「いのりのかたち」を見いだし、作品をつくり上げた。つくりながら感じた悩みや疑問を、学生時代に戻って先生に問いかけてみる。その答えはいたって明快「つくり続けなさい」。

DSC Dialog #04 やまのかけら /DSC×WOW いのりのかたち

山岳信仰に限らず、人は古来、自然の中でも山に対しては特に畏敬の念を抱き、その「かけら」である岩や石にも神性を見いだしてきた。スコープというアナログな仕掛けを用い、山の側にフォーカスを当てることで、周辺にある私たちの営みを描き出した「やまのかけら」。土地から拾い上げた歴史をどうやって伝えるかという点でその手法は「歴史屋」にとっても新しい気付きがあったという。

DSC Dialog #05 うつし UTSUSHI/DSC×WOW いのりのかたち

宮城大学の象徴的な空間である大階段の前に茅の輪が置かれ、それをくぐると突如として非日常の世界が広がる、神事をモチーフにした AR 作品。そのコンセプトやデザインへの評価と同時に、同じくテクノロジーを使った表現や体験を追求する研究者同士の対話だからこそ、効果的に実現するデバイスや手法について議論が加熱した。そしてテクノロジーと最も遠い場所にある「いのり」について。

WOWについて

東京、仙台、ロンドン、サンフランシスコに拠点を置くビジュアルデザインスタジオ。CMやコンセプト映像など、広告における多様な映像表現から、さまざまな空間におけるインスタレーション映像演出、メーカーと共同で開発するユーザーインターフェイスデザインまで、既存のメディアやカテゴリーにとらわれない、幅広いデザインワークを行っています。最近では積極的にオリジナルのアート作品やプロダクトを制作し、国内外でインスタレーションを多数実施。作り手個人の感性を最大限に引き出しながら、ビジュアルデザインの社会的機能を果たすべく、映像の新しい可能性を追求し続けています。

宮城大学デザインスタディセンター

デザインを通して、新しい価値をどう生み出していくか。日々変化する社会環境を観察し、多様な課題を解決へと導く論理的思考力と表現力、“デザイン思考” は、宮城大学で学ぶ全ての学生に必要とされる考え方です。ビジネスにおける事業のデザイン、社会のデザイン、生活に関わるデザインなど 3学群を挙げてこれらを担う人材を育成するため、その象徴として 2020 年にデザイン研究棟が完成、学群を超えた知の接続/地域社会との継続的な共創/学外の先進的な知見の獲得を目指して、企業との共同プロジェクトや、デザイン教育・研究を展開する「デザインスタディセンター」として、宮城大学は東北の新たなデザインの拠点をつくります。

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