対談:デザインを実現するための「メタ・ビジュアルデザイン」

映像・ビジュアルデザインとタイポグラフィー。分野は異なれど共通項の多い本学鹿野護教授と&Form代表の丸山新氏。デザインを俯瞰(ふかん)して見る、という振る舞いもその一つだ。「これからの時代はデザインを実現するためのデザインが必要ではないか? それこそがデザイナーの役割ではないか?」。そんな予感から鹿野教授が設けた対談のテーマは「メタ・ビジュアルデザイン」。2人の織り成すデザイン論は生き方の話にまで及んだ。

鹿野 丸山さんとは分野は違いますが、世代も一緒なのでバックグラウンドに共通項も多いと感じています。その一つに、デザインという概念に出合ってから大きく人生が変わっている点があります。丸山さんは、グラフィックデザインの源流をたどっていくとタイポグラフィーにたどり着くと話されていました。そのあたりを詳しくお聞かせいただけますか。

丸山 機能と効能を伴ったものがデザインだというのはバウハウス以降の話で、1918年〜19年ぐらいにドイツで起こったものです。それをひもといていけば石碑まで至る。古代の人が後世に対してコミュニケーションするために石の壁に書いていたのは、文字なんです。

そうするとタイポグラフィーは何かというと、道具ですよね。当時も石碑に彫っている文字にだんだんと美しさみたいなものを求めていったわけです。あくまでも概念ですが、そういうものだと思っています。

鹿野 そのタイポグラフィーでビジュアルコミュニケーションを生み出しているわけですよね。非言語情報だけで伝えるのではなく、言語の最小限の構成体をあたかもビジュアルのように使って。

丸山 そうですね。

鹿野 そのあたりの境界はどうなっていますか。写真を使うのかタイポグラフィーを使うのか、今回のポスターの主役はどちらかとなったときに、タイポグラフィーを選ぶのが丸山さんらしいのかなと思うんですけど、選ばないケースもありますよね。

丸山 あります。もちろん自分の専門性も意識していますし、そこがクライアントに対しても一番強い部分なのは分かっているんだけど、それで進めちゃうと作品づくりになってしまう。僕はデザインの仕事というのはプロジェクトだと思っていて、アートワークではありません。

だから文字を一切使わなくたっていいし、必要であれば使う。逆に、必要がないのに写真やイラストを使わないといけないようなときは、自分の意見を言います。世の中的には、文字はアピールが少なくて、写真やイラストレーションはインパクトが強いみたいな、なんだか変な固定観念がありますよね。

もちろんイラストも写真も使い方がよければいいんだけども、はっきりした目的じゃない場合はただの装飾。その装飾性のためにデザインを使うのは機能と効能を無視するということだから、それはなるべくやりたくないです。

鹿野 プロジェクト、という言葉が出てきているのが面白いですね。事業構想学を英語で言うと「プロジェクトデザイン」。プロジェクトとデザインが接近していて、プロジェクトを実現するには構想だけでは駄目で、具体化する技術も必要なので、この言葉はぴったりだなと思います。そのプロジェクトに最適なものを探り出していくということですよね。

丸山 そうです。だからそれがイラストで、人が見たら自分っぽくないと思われても関係ない。イラストが最適だと考えたからそのときイラストを使っているだけで。実際、JR東日本の「エキュート」の仕事では率先してイラストレーションを使いました。

鹿野 そのように、自分のやりたい具体的なデザインを実現するためには、それが実現する状況をデザインしなければいけないですよね。

丸山 そう。それが難しい。

鹿野 だから例えば丸山さんは鎌倉にお住まいになっていて、中心部からは外れたところに住んで、中心部に出ていって仕事をする。僕も松島ですけれども、仕事は仕事、生活は生活で、そこは分離している。

丸山 似てますよね。ふふふ。

鹿野 デザイナーがどうやって生きていくか、仕事にどういうスタイルで取り組んでいくか、クライアントとどんなふうに向かい合っていくか、みたいなところを設計しているんだと思います。

丸山 それはとても意識していますね。プロジェクトにおいては状況をつくるということがすでにデザインの仕事だと思っているからです。30年前や40年前だったら、その仕事はいらなかったかもしれません。すごくきれいな車をただつくれば良いとか。

でもいまの時代は自分の状況、生活すらつくる意識がないとその構想もつくれない。だから僕にとっては鎌倉に住んで東京で仕事をするという行為がすでにデザインしていること。ポスターをつくるとかCIをつくるとか、デザインの行為はその後なんです。

鹿野 そんなふうに、ある領域から外れるとか横断するというのは意識できるんですけど、俯瞰するのが難しいと僕は思っています。今回は「メタ」という言葉を使いますが、丸山さんはビジュアルデザインを一歩引いて俯瞰して見る、「メタ・ビジュアルデザイン」ができていますよね。

例えば、「ポスターをつくってください。予算はこれくらいあります」と言われて、「分かりました。やりましょう」となればいいですが、「そもそも、そのポスター要りますか?」という話をしてしまうと、自分の仕事がなくなってしまう。でも俯瞰する視点があると、別の方法がいいとか、もっと違うことができるとか提案することが可能になります。

デザインに限らず専門性が高くなっていくと、そのメタ視点というのが非常に持ちにくくなってしまうと感じます。サービスやUIのデザインもそうですが、「それがあったら社会でいろんな問題が起きるんじゃないか」とか「逆に疲れるんじゃないか」とかいうことが無視されて、「便利だからいいじゃない」といって十分議論されないままどんどん進んでいく。でもデザインは、そのメタ視点を持てる一つの思考形態になり得るのかなと思っています。

丸山 いまの話を聞いてすぐ思ったのが、デザインの考え方や視点、ひもとく力や俯瞰して見る力って、デザイナーよりも違う仕事の方がはるかに生きるんじゃないかということです。

例えば病院でも、ドクターにデザインの思考が要らないかっていうと、そんなことないですよね。診断するとか手術するとか、そこは専門技能を使うけど、それとは別に病院を構想しなきゃいけないわけじゃないですか。どういうふうに病院のアイデンティティーをつくっていくか。それって要はデザインワークと変わらない。

違う仕事の人たちがデザインを共有していくことが世の中に対していいことだと信じたいし、デザイナーとしての仕事がこの先あるとすればそういうところなのかなと思います。

鹿野 俯瞰する視点に関してもうちょっと進めて、道具と創造性についてもお聞きしたいんですが、タイポグラファーがつくったものは当然、タイポグラフィックデザイナーにとって大きな影響を与えますよね。例えばヘルベチカ(Helvetica)がつくられたことによってさまざまなデザインが発生しました。そういうふうに俯瞰したときに、タイポグラフィーという道具をつくることについて、どう思われますか。

丸山 その質問には、道具によってデザインの「つくる」可能性がすでに狭まっているんじゃないか、という指摘も含まれているんだと思います。ただ、建築家でいえば木のマテリアルを使うとかガラスのマテリアルを使うとかいうのと同じで、つくるという行為に対してはフラットなものですね。

タイムズ(Times New Roman)などがそうですが、長い間ニュースペーパーに使われていて、可読性が非常に取れているという書体があれば、それはもう受け入れる。足にとてもよくなじむナラの無垢(むく)材があるなら新しいナラ材は要らないのと一緒で、世の中に対してもう受け入れられているものであれば、僕はもうそこは考えないですかね。あえて新しくつくる必要はないというか。

鹿野 素材はもう十分にそろっている状況だということでしょうか。

丸山 もちろん、新しいものをつくる人たちを尊敬していますし、新しいもので良いものは取り入れていきます。スイスのタイポグラファーたちが使っている新しい書体があるんですが、そういうのも僕にとっては面白い。何の影響を受けているか見て取れるし、いまのスイスを表現しようともしているし。だけど自分の話に戻れば、コミュニケーションをつかさどっていく仕事において、新しいタイプフェースをつくるという行為が、自分がしたいことではないんですね、単純に。

鹿野 なるほど。僕は非言語情報、映像だったり動きだったりインタラクションの方をやってきて感じることがあって、この話をしたんです。例えばイラストレーター(Adobe Illustrator)をつくった人はグラフィックデザインに多大な貢献をしています。逆に何か失わせたこともあるかもしれないんですが、そこで社会に生み出したインパクトは非常に大きいですよね。

丸山 そうですね。

鹿野 これからデザイナーがつくるべきものはそっちじゃないのか、と思うときがあるんです。具体物はもはや誰でもつくれる時代になってくるので、それを生み出すメタな、「つくるをつくる」的な視点が頭から離れなくて、常に考えてしまうんですよね。自分が表現をつくるときも、最終的な固定物として、全てを除外して最後に残ったものをつくるんじゃなくて、あらゆる可能性を秘めたテンプレートのようなものを考えてしまう傾向がある。こういう動きについてどう思いますか。

丸山 難しいですね。鹿野さんの言わんとしていることはよく分かるし、次なる教育や次に進む方向を考えると、きっとそうなっていくんだろうなとは思います。デザイナーというものがなくならないとしても、領域としてはがらっと変わっていくでしょう。ただ一方で、やっぱり人間の不思議さとかあいまいさ、矛盾みたいなものに、僕はやっぱり魅(ひ)かれたいし、期待も含めてそこに委ねたいという願望があります。

開発していることがもうデザイニングで、源流だとなってくると、もはやデザインが何かすらも分からなくなる。処理能力や反復作業は当然システムには勝てないわけで、人が手を動かさなくなっていくかもしれない。そうなると人間の最後に唯一残る強い部分って、あいまいさとか矛盾さとかなのかなと。

だから僕はつくるという行為を手放さないし、つくりたい気持ちが常にありますね。そこがクリエイティブの良心というか、人間らしさと言ってもいいかもしれない。答えになっているか分からないですけど。

鹿野 いえ、ありがとうございます。なぜ僕がこのことにこだわっているかというと、例えば学生たちが将来デザインの仕事に就くとして、ひたすら道具を覚えてやっていくのか、道具そのものをつくっていく立場になっていくのか、もしくはもっと俯瞰してプロジェクトをつくってその結果として具体化するのか。デザインを教えるというのがどういうことかと考えると、難しいなと思うんですよね。

丸山 それはたぶん領域の話だと思うんですよ。新しい道具が出てきても、そこにまた対応していくのがデザイナーという職業だから、要らなくなる領域は出てくるかもしれないけど、デザイナーは必ず生き残ると僕は思っている。

カメラのことを例に挙げると、コダックカメラがヨーロッパで出て安価で誰でも撮れるようになって、ヨーロッパの写真家は仕事を失うと思ったわけですよね。それがいまはスマートフォンでも撮れるようになったけど、写真家という仕事はいまだになくなっていない。領域が変わっていっただけで、デザインも本質というかよきところはなくなるわけじゃないだろうと。

ただ鹿野さんの言っていることもよく分かります。デザインとは何か、デザインの教育とは何か、道具なのか人なのかと考えていくと、まあ難しい。僕は答えがないとも思うんだけど、一番大事なのは、自分でそれを把握して進むこと。周りの状況を見て、自分で選択していくことが大事なのかなと思います。

鹿野 どういう文脈で流れてきて、いまがあるのかを知らないといけないですよね。

丸山 そうですね、単純だけど。

鹿野 でも重要な指摘だと思います。デザインや表現や広告がこういうふうに流れてきているという歴史を見ることによって、いま置かれている状況が分かるし、次に何が起きそうかなんとなく見えてくることもあります。それも俯瞰して見るということですね。

丸山 自戒も含めてですが、いまは流されやすい時代だと思うんですよね。仕事が来て、つくって、仕事が来て、つくって、そうやって延々とやっていると、初めはいいかもしれないけど長く続かないでしょう。ずっとなんとなくアウトプットしていると、クリエイティブマインドがどこかで途切れてしまう。自分を保つためにも、俯瞰して見るという力が必要とされる時代だと思います。

構成:菊地正宏(合同会社シンプルテキスト)/撮影:株式会社フロット


プロフィール

宮城大学大学院 事業構想学研究科 教授 鹿野 護

1995年3月 東北芸術工科大学 デザイン工学部 情報デザイン学科 卒業、1999年 4月 ワウ株式会社、2014年 4月 東北工業大学 准教授、2017年 4月 宮城大学 事業構想学群 教授。メディアデザインを用いて、社会の問題や価値創造を行うための研究。アプリケーション、インタラクティブビジュアル、アートインスタレーションなど、さまざまなメディアを活用し社会で機能させることを目的とする。それらの実装のために必要なソフトウェアを実際に開発し、プロトタイピングを行いながらより良いユーザー体験をもたらすインタラクションを実現させる。また、美しさや魅力を作るためのプロセス、そして感性に訴えるための伝達方法・表現のあり方を、感性と科学の両側面から研究する。 メディア表現を活用した情報発信と創造性を支援するツールのデザイン

非常勤講師 &Form代表 丸山 新

1978年宮城県生まれ。2001年、イタリアBenetton社主催によるFabrica研究生を経て、2002年渡英。Central Saint Martins美術大学グラフィックコミュニケーションデザイン学科にてタイポグラファーPhil Bainesの元で学び、文学士号を取得。2006年、スイス、キアッソ市立m.a.x.美術館のアートディレクターに就任、5年間の在籍中にスイス国内外にて数々のキュレーション、展示デザイン、告知物等を手掛ける。南スイス州立大学SUPSIのデザイン·コラボレーターを経て2012年に帰国し、&Form LLCを設立。NYタイポディレクターズクラブ「タイポグラフィック優秀賞」(アメリカ)、Premio Mobius「第一等」(スイス)、ラハティポスタービエンナーレ「ファイナリスト」(フィンランド)等をはじめ国内外のデザイン賞を多数受賞。


MYU Dialog

宮城大学大学院事業構想学研究科の情報デザイン領域では、学外からゲストを招いた特別講義を開講しています。これは専任教員と非常勤講師の専門性を重ね合わせることで生まれる知見を学ぶ機会をつくるとともに、今後の教育・研究や社会活動に接続することを目的としています。


事業構想学研究科について

事業構想学研究科は、全領域で地域現場と密着した実践教育を行うとともに、研究者志望の者には特に研究能力の養成を重視します。専門領域として以下の領域を設置しています。
・博士前期課程:ビジネスマネジメント領域/空間デザイン領域/ビジネスプランニング領域/情報デザイン領域
・博士後期課程:産業・事業システム領域/地域・社会システム領域
また、学卒者・修了者と社会人の両方を対象にした高度な専門職の教育を行っていますので、社会人在学生の割合が高いことが特徴です。社会人の方への配慮として社会人特別選抜や長期履修制度が用意されています。最新の募集要項は以下のリンクに掲載しています。

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