文様 MONYOU/DSC×WOW いのりのかたち

東日本大震災の後、事業構想学部(当時)中田研究室の有志学生が南三陸町戸倉地区長清水集落で行ったプロジェクト「ながしずてぬぐい」。その手拭いにもあしらわれていた文様に、中田教授の教え子でもある 2 人は「いのりのかたち」を見いだし、作品をつくり上げた。つくりながら感じた悩みや疑問を、学生時代に戻って先生に問いかけてみる。その答えはいたって明快、「つくり続けなさい」。

事業構想学群 価値創造デザイン学類 教授 中田千彦
WOW Designer 小林真由、WOW Programmer 梅田優弥
聞き手:菊地正宏 (SimpleText LLC)


人々は自然の力強さや美しさに縁起の良い意味をかけ合わせ、それを身にまとうことで自分や相手の幸せを祈ってきました。植物や水、光をモチーフにつくられた文様は、自然と身近に生きていた人々が自然から頂いた「いのりのかたち」です。本作品では、引き染めの手法をモチーフに、さまざまな文様の世界観をインタラクティブに描きます。はけを使って布を染色する動作をすると文様が浮かび上がり、さまざまに動き出します。伝統的な染めの技法とデジタル技術を組み合わせ、文様の装飾としての魅力はもちろん、現代ではあまり意識しなくなった自然とのつながりや由来も体感できるインスタレーションです。


―最初に WOW のお二人から、作品の内容と制作の経緯についてご説明いただけますか。

梅田 「いのりのかたち」のテーマの一つとして、私たちは文様に注目しました。文様にはそれぞれ意味があって、例えば青海波は、波が絶えず続いているところから繁栄や永遠に続いていくというところをピックアップして、願いとして込めています。麻の葉の文様は麻の生命力に願いを込めて子どもの衣服に使ったそうです。文様と、その元になっているものとの結び付きが面白いなと思ったのがプロジェクトの始まりです。

そして、引き染めという技法で文様が出来上がっていく工程が印象的で見た目も美しいと感じ、それをベースにインタラクティブな作品をつくりたいなと思いました。真っ白な長い布に映像を投影して、はけで塗ると映像にも色が付いていくところまでは現実の工程と一緒ですが、その色がじわじわと広がっていって、モチーフとなったものを象徴するような現象を表現したアニメーションが動き始めます。

小林 文様をテーマに決めてから作品になるまで、工程のどの面白い部分を切り取るか、どういうところに「いのりのかたち」としての落としどころがあるのか試行錯誤がありました。文様は世界中にあって、調べていけばいくほど奥が深く、ずいぶん大変なものをテーマにしてしまったなと思いながら、でもそこに面白さを感じました。

―文様をテーマにしていることについて、中田先生はどう思われましたか。

中田 文様というのは古今東西に存在していて、人類の文明は文様を取り扱うことを当然のようにしてきました。人間に限らず動物も柄や色といったものを自分の優位性のアピールにしていますよね。その造形にあやかって、自分が身に着けたり掲げたり、何かに表示することで自分自身とその周辺の存在を誇示し、状況を変えたりする。それをわれわれは視覚的に経験しているから、そのことを目の前にした時に認知して、そういうことだよねと引き受けるわけです。

「ながしずてぬぐい」では、おこがましくも被災地の人たちを勇気付ける、役に立ちたいという思いから現地でワークショップを行ったわけですが、すぐに「はい、そうですか」とはならないですよね。でも、いろいろと話を聞いているうちに、津波は怖かったけど、これまで恩恵を受けていたから海は嫌いになれないという声があったんです。財産や命を奪った波だけど、その瞬間に多大なことが起きたけれども、先祖代々自分がここにいる理由をつくってもらったのも海だと。

じゃあその柄を扱えないだろうかと、青海波の文様の手拭いをつくったら、地元の方はそれを「きれいだね」と言って素直に受け入れてくださいました。もちろん色や柄がきれいなのもあるでしょうけど、その波模様に現地の方が言語化できないシンパシーが潜んでいて、それを結節させることによって学生たちと地元の方の間で話題が成立したんだと思います。それは虎の柄だろうと何だろうと、何かにあやかった時に、あやかる元の部分こそが重要だということですよね。

それが了解できないまま、知らない絵柄をいきなり持ってこられても「何だそれは」となったと思います。だとすれば、(「めぐみ」で取り扱っている)お酒が尊いのと同じように、文様も当然尊いですよね。「いのりのかたち」のテーマの一つとして文様が並んでいるのは、そういう意味で当然かなと思います。2 人がちゃんと世界の風景を見ているんだなと、安心しました。

梅田 そう言ってもらえてうれしいです。もう一つお聞きしたいのですが、波や植物といった動きのあるリアルな自然の姿を抽象化して、配置できるパターンにデザインして落とし込んだのが文様だと考えているんですけど、この作品ではある意味それを戻すようなことをしています。これはせっかくデザインされたものをまた回答し直すような、やぼなことなのかもしれませんし、最初は自分たちでも何が面白いんだろうかと思ってなかなか手を出せなかったんです。この点について、ぜひ意見をお聞かせください。

中田 デザインというか意匠を良くしようと思う人たちは、これが究極の形ですというところを頑張って追求しますよね。その中で捨てなくちゃいけないものがあって、精度を上げて、意匠を研ぎ澄ませていく、いわゆる「洗練」ということになりますかね。その過程で既に一度検証したようなことや、その前にやっていたことに戻って表現することは、洗練という一方向の矢印が行き着いたところがゴールだという認識の中では、やぼとされるかもしれません。

でも、その末に滅びたケースもいっぱいあるわけですよ。だからどこかで戻ってみたりもする。将棋で棋士が、この手でいったら詰んでしまうけど、戻ってこっちに行くといいと考えるように、人間はそういうことを常にしてきたわけで、それは生き残るすべとしてやっているんだと思います。それは後退ですかと言われたら、そうじゃないですよね。しかも、それを今の新しい技術で試すことができるなら、誰かがそれを引き受けてやってみないといけないですし、やるのが当然だと私は思う。そうは思わない?

梅田 はい。アイデアが出た時は何が面白いんだろうかと思って後回しにしていたんですが、正直手詰まりだったので、取りあえず実際に動かしてみようとやってみたら、視界全部が文様で埋まる新鮮な体験があり、波の動きによって感じ方が違うという発見がありました。面白さが何倍にも感じられ、文様について新しい表現の切り口を見つけられたのかなというところは自信に思っています。

中田 私も若い頃は梅田君たちのようなキャスティングだったんだと思います。当時はこういう技術もないし、手に入っていないので違うレベルでやり切るしかなかった。君たちがいい年になって若い人を見たら、今度は君たちがうらやましがるようなテクニックがふんだんにあって、横で悔しいと思っているかもしれない。そういう文明の中の役割、キャスティングなんですよ。

―梅田さんのように、つくり手が「これは何が面白いんだろうか」と悩み始めた場合、どんな出口があるんでしょうか。

中田 君たちはそういうことをする役割にあるんだから、しなさい、ということだけですよね。そして、面白がる自分を見いだすしかない。加えて重要なのは、誰かに一緒に面白がってもらえるかどうか。自分が面白いと思っていることをやっているところに、ふいに誰かが来て、「それ面白いじゃない」と言った一言をきっかけに世界が変わったというようなことは世の中にいっぱいあります。そのことを自覚している人は全然怖くないんですよ。

でも、その間の努力は惜しんじゃいけない。自分が取り組んでいることを達成するために、とにもかくにも関わる時間を積み重ねる、その積算が努力だと思うんです。結果が出るとは約束されていない努力ですが、その先で誰かに「面白いじゃない」と背中をポンッとたたかれた瞬間から無数のことが成功していくんですよね。

―つくり続けることが大事だと。その「つくる」という行為について、お二人から中田先生に質問が用意されています。

梅田 震災や新型コロナなど、大変な時こそ人はものをつくる傾向があるのではないかと感じています。私たちのような仕事に限らず、コロナ禍ではアマビエをあしらったグッズが次々とつくられたり、震災の後は記録に残そうという活動が生まれたりしました。なぜそういうことが起きるのでしょう。これから良くしていこうとか乗り越えていこうとかいう気持ちで、大変な時にこそ創作をするのかなと私は思ったんですが。

小林 災害でもコロナ禍でも一人一人みんな違う影響があって、それが波のように体の中に入ってくるのを、自分では受け止め切れないから作品とか文章とかものとかに出していくのかなと私は思いました。この影響を自分の中にとどめてしまうと壊れてしまうので、代謝のようにそれを出すことによって緩める、そしてその作品を見た誰かの中の影響も和らげるとか、そういう効果があるのかなと。中田先生はどうお考えですか。

中田 バブルの時代など、つくることで高揚する時はよく分からないものも含めてどんどんつくるけど、自然災害などの後で何かをつくるのはそれとはちょっと違いますよね。自然災害の時は物質的にも精神的にもいろいろ失っていて、それを補おうとするのが生命力としてある。けがをしたら治療するように、ものにおいても何かつくることでこの状況から次に向かおうとするのが本能なんだと思います。治癒力を高めるためにゆっくりしようとか栄養を取ろうとかいろいろ工夫する、その創意工夫と同じで、大変な時こそ人間は「つくる」行為をするのではないでしょうか。

「いのり」というテーマにも関わりますが、失ったものが多い時に人は祈りますよね。神社に行って「宝くじが当たりますように」というのは単なる「お願い」なので、そういうのはかなえてくれません。私が聞いて納得したのが、自分たちの外にある意識、「意に乗る」ことが「いのり」だと。つまり向こうの意に自分が合わせられないとつながらない。それでも祈りたいほど大変な時に人が「つくる」行為をすることは当然だと思います。つくらないとその場面を完了できないからです。

梅田 中田先生のお話を聞いていて、大変なことを考えてばかりいても、失ったものを思い返してばかりいてもしょうがないと、気を紛らわすためにもつくるのかなと感じました。生き残っていく可能性を高めるためにその行為をして、元には戻せないけど何か代わりのものを置きたいという思いを満たして、寂しさを埋めるのはとても理解できます。

小林 人は祈りたいほど大変なことがあったら、それを乗り越えて先に行こうとする一方で、忘れてしまう方がすごく悲しいんじゃないかという思いも私の根底にあります。ものづくりをすることによって大変なことを大変なまま覚えておくのではなく、形を変えて近くに置いておくことで忘れずに取っておける、自分が安心できるということもあるのかもしれないと思いました。完全に忘れてしまうのでもなく、完全にその時の感情を残しておくのでもなく、どっちの感情も丸めて包んで、前に進んでいけるように人は何かをつくるのかもしれないなと。

中田 心の引き出しっていろんな形があるじゃないですか。その引き出しのしまい方とか開け方ってそれぞれにあると思いますが、その総体として「つくる」という行為があるのかもしれません。小林さんの言うように、何かを失った時に何かをクリエイトするというのは、失ったものを忘れるためではなく、それが穴埋めになったり、あるいはそれを上回るものになったりする。そうやって気持ちの引き出しを軽くしているのかもしれません。

そういう意味での「つくる」行為ができれば、人は大変なことがあっても苦しみが少しは癒やされ、つくることができる人たちが増えれば増えるほど、もう少し世の中は穏やかになる気がします。それは何も上等なものをつくることが条件ではなく、おなかが減っている人がいる時につくってあげるご飯でもいい。そんなことはたくさんあったはずなんですが、いつしか「つくる」ことに入らなくなってしまったんですよね。あらためてそれを一つ一つやればいいんだと思います。

―その「つくる」ことを卒業後も続けている梅田さん、小林さんが今の時代背景を踏まえてつくった作品が今回、このデザイン研究棟に展示されました。こうしたデザインスタディセンターの取り組みに期待することを最後にお聞かせください。

中田 それはまさに、この 2 人が今ここにいてくれることが示しています。こういう人たちが社会に関わりを持つチャンネルとして大学があることが、われわれの使命だと思っています。2 人だけでなく、今後、梅田’(ダッシュ)や小林’ といった人たちがいるようになるのがこの場所の目的でしょう。しかも自閉的にならずに、かといって常にたむろしている必要もない。こういう場があってこういうセッティングがあったからまた 2 人に会えて、会えるということは可能性が広がること。それこそ大学の姿だなと思います。また来てくださいね。

梅田・小林 はい!

構成:菊地正宏(合同会社シンプルテキスト)/撮影:株式会社フロット


MYU NEWS #03

宮城大学デザインスタディセンターでは、2021年の開設以来、学群の枠を超えた知の接続/地域社会との継続的な共創/学外の先進的な知見の獲得を目指し、東北の新たなデザインの拠点として、さまざまな実験的なプロジェクトが展開されています。


DSC Dialog #01 デザインスタディセンターの『現在』と『未来』

東北の新たなデザインの拠点として設けられた真新しいデザイン研究棟の建物が肉体だとすれば、デザインスタディセンターはその核に据えられた魂の依り代と言えるだろう。目に見える形は持たないが、だからこそ、それを中心に専門領域に縛られず、産学官の軽やかな連携が立ち上がり、地域と境界線のない交差が生まれる。そんな混然一体の営みが自然発生し得るこの場が持つ可能性について、3 人のコアメンバーに語ってもらった。

DSC Dialog #02 めぐみ MEGUMI/DSC×WOW いのりのかたち

科学的にそのメカニズムが明らかになっているとはいえ、微生物の働きにより米と水から酒がつくられていく過程は神秘性を帯びている。肉眼では見えない存在に思いをはせ、その力を借りた酒づくりの現場を目にしたクリエイターらが生み出した映像は発酵という現象を科学的に解明しようとする研究者にどう映ったのか。そして神事とも密接する酒づくりにおける「いのり」の科学的な解釈とは。

DSC Dialog #03 文様 MONYOU/DSC×WOW いのりのかたち

東日本大震災の後、事業構想学部(当時)中田研究室の有志学生が南三陸町戸倉地区長清水集落で行ったプロジェクト「ながしずてぬぐい」。その手拭いにもあしらわれていた文様に、中田教授の教え子でもある 2 人は「いのりのかたち」を見いだし、作品をつくり上げた。つくりながら感じた悩みや疑問を、学生時代に戻って先生に問いかけてみる。その答えはいたって明快「つくり続けなさい」。

DSC Dialog #04 やまのかけら /DSC×WOW いのりのかたち

山岳信仰に限らず、人は古来、自然の中でも山に対しては特に畏敬の念を抱き、その「かけら」である岩や石にも神性を見いだしてきた。スコープというアナログな仕掛けを用い、山の側にフォーカスを当てることで、周辺にある私たちの営みを描き出した「やまのかけら」。土地から拾い上げた歴史をどうやって伝えるかという点でその手法は「歴史屋」にとっても新しい気付きがあったという。

DSC Dialog #05 うつし UTSUSHI/DSC×WOW いのりのかたち

宮城大学の象徴的な空間である大階段の前に茅の輪が置かれ、それをくぐると突如として非日常の世界が広がる、神事をモチーフにした AR 作品。そのコンセプトやデザインへの評価と同時に、同じくテクノロジーを使った表現や体験を追求する研究者同士の対話だからこそ、効果的に実現するデバイスや手法について議論が加熱した。そしてテクノロジーと最も遠い場所にある「いのり」について。

WOWについて

東京、仙台、ロンドン、サンフランシスコに拠点を置くビジュアルデザインスタジオ。CMやコンセプト映像など、広告における多様な映像表現から、さまざまな空間におけるインスタレーション映像演出、メーカーと共同で開発するユーザーインターフェイスデザインまで、既存のメディアやカテゴリーにとらわれない、幅広いデザインワークを行っています。最近では積極的にオリジナルのアート作品やプロダクトを制作し、国内外でインスタレーションを多数実施。作り手個人の感性を最大限に引き出しながら、ビジュアルデザインの社会的機能を果たすべく、映像の新しい可能性を追求し続けています。

宮城大学デザインスタディセンター

デザインを通して、新しい価値をどう生み出していくか。日々変化する社会環境を観察し、多様な課題を解決へと導く論理的思考力と表現力、“デザイン思考” は、宮城大学で学ぶ全ての学生に必要とされる考え方です。ビジネスにおける事業のデザイン、社会のデザイン、生活に関わるデザインなど 3学群を挙げてこれらを担う人材を育成するため、その象徴として 2020 年にデザイン研究棟が完成、学群を超えた知の接続/地域社会との継続的な共創/学外の先進的な知見の獲得を目指して、企業との共同プロジェクトや、デザイン教育・研究を展開する「デザインスタディセンター」として、宮城大学は東北の新たなデザインの拠点をつくります。

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