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21.08.11

「東日本大震災から学ぶ学校保健・学校安全」 養護教諭教育課程において石巻市震災遺構大川小学校でフィールドワークを実施

看護学群看護学類の養護教諭教育課程では、主に児童・生徒の健康面を支援する養護教諭の養成を行なっています。この度,  2年生が履修する「学校保健論」の授業において、「東日本大震災から学ぶ学校保健・学校安全」をテーマに石巻市震災遺構大川小学校でのフィールドワークを実施しました。

石巻市震災遺構大川小学校について

場所は石巻市釜谷地区の北上川河口から約4kmの川沿いに位置しています。東日本大震災では、当時学校にいた全校児童の約7割に当たる70数名の児童と教職員10名が犠牲になりました。フィールドワークでは、各自が学びたいことを事前レポートにまとめ、当日に臨みました。当日(7月14日)は、大川小学校の校舎周辺や裏山などを見学しながら、講師である佐藤敏郎先生(小さな命の意味を考える会代表 他)のお話を伺いました。

いざとなったときに命を救うのは判断と行動、学校における教員・職員の役割

参加した学生の事後レポートから一部を紹介します。

  • 何度もテレビなどでは見たことのある大川小学校であったが、実際に足を運んでみると、10年前そこには確かに子供たちがいて楽しい小学校生活を送っていたのだということを想像することができた。また、山に実際に上ってみて、こんなにも近くに、命を救ってくれる山があったのかということが衝撃的だった。
  • 1番印象に残っている言葉は「救えた命」である。約50分間の猶予があったにも関わらず、多くの児童の尊い命が津波によって失われてしまった背景には、不完全な安全管理マニュアルの存在、防災意識の低さがあったということを初めて知った。
  • 今も教室に残っている(児童の)名札を、どのような思いで教員が張り付けたのか想像できた。「教員が児童のことを救いたくなかったはずがない」という佐藤さんの言葉を聞くと、教員が児童の安全を守ろうとしなかったわけはないとはっきりと思った。
  • 防災や減災について知れば知るほど難しく考えてしまっていたが、「亡くなった職員たちが亡くなる直前に”もっとこうすれば良かった”と思ったことを私たちは考えていけば良い。」と聞いて、混乱したときにこの考えに戻ろうと思った。
  • 最も印象に残った言葉は、「時間も、情報も、手段も、想定も、命を救うことはできない。いざとなったときに命を救うのはその場の判断と行動である」という言葉だった。学校において、その場の判断と行動を指揮するのは、他でもない教師の役割である。私は「学校の中でいざとなったときに運命を左右するのは、教師の判断力と行動力である」と言われている気がした。

学校保健論とは

学校保健論は、2年次前期に開講される科目です。学校保健活動の理論と実際を学び、児童生徒の現代的な健康課題への対応について考察することを目的としています。

養護教諭教育課程では、「学校保健論」で学ぶ内容について、その他の教職科目(「養護概説:2年次後期」、「健康相談活動:3年次前期」、「教職実践演習:4年次後期」など)との関連性・系統性を考慮し構成しています。

担当教員プロフィール

〈学校保健論〉

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